そうそう最適解なんてあるわけねーだろ!!

はてな(改変前http://d.hatena.ne.jp/Rir6/20080525/1211664691
ここら辺の話で気になったので、トリアージがどうの、最適解がどうのって話なんだけど、正直言って胸糞悪い。自分は研究室で社会なんてものを扱うにはずっとちゃちな数式の最適解を求める研究をしていてその程度のものの最適解を求めるだけでも七転八倒していたのだけれど、こういう思考停止をしたかのようにあっさり最適解だの、最適化だのをしれっと言うのには怒りを感じる。
そもそも本来の医療を目的としたトリアージではなく政治的な意味合いを大いに含んだ「トリアージ」というものに対しては論外だといういろいろな指摘がもうすでになされているのだけれど、この政治的な「トリアージ」という言葉をトレードオフと読み替えれば、それは正しいといってるのがはてブなんかで多い。それは大いに間違っているといいたい。モノやシステムというものには何がしかの目的がある。例えば自動車の場合だと、早く移動したいという目的をかなえるためのものであって、何かとトレードオフに走る機能を無くすといったことはありえない。今回のトリアージの件でもそうだ。本来の目的は人を助けるであって、トリアージはあくまでも災害のような緊急事態に対して、現在の医療・社会システムが敗北した結果、トリアージを行うのであって、それは戦略的な行為でも最適化の結果でもなく敗北への次善策でしかない。
もし、本当に四川大地震のような災害事例に対して、戦略やら最適化を言いたいのならばちゃんと必要な条件や状態、人が何を変えられうるかを考慮しなければ、それは戦略やら最適化という言葉にさえ値しないだろう。ではこの災害に対してのトリアージの例で言えば、その際考慮すべき条件は、被災状況、病院受け入れ能力、搬送能力、・・・など色々上げられるだろう。この中で実際に人の手で動かせられるものはどれだけあるだろうか?事前の戦略を練る段階からなら、災害自体の大きさ以外のほぼすべて、事後でもいくらでもあげられるだろう。
本来いろいろな条件、目的で成り立つものをぶん投げて、まるでトリアージをすればそれは最適化がなされており、戦略的な行動であるなんていうのはひどく粗雑であり、ひどく非学問的でさえある。